フリーランスは企業に「使われる」存在なのか?

3月だからって春っぽい記事を書かなくたって良いかなと思い、最近ずっとぐるぐる考えていたことを書きます。

フリーランスは企業に使われる立場なのか。

フリーになって1年と少し。最近ひっかかる言葉を耳にしました。とある編集者が「言い方は悪いけれど、カメラマンを使う時に…」

。。。

その時「ああ、この人の中ではカメラマンやライターというのは”使う”存在として認識しているんだろうな」と思いました。それが良い悪いではなく、その言葉を発した人を批判するのでもなく。事実としてすごく寂しかったです。人として相対しているのに、なぜ「使う」「使われる」という上下関係が発生してしまうのだろう。

思い起こしてみると、フリーランスになってから色んな企業、編集者と仕事をしてきました。自分が編集者だった時代もあるので、相手の仕事内容もおおよそ分かるし、何が大変で、どういう動き方をすれば助かるのかもなんとなーーーく分かります。だから自社のことしか考えていない編集者に出会うと、残念な気持ちになる。仕事の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりに、連絡が途絶える人。「え、これ、人間のやる仕事…?」と信じられない金額で依頼してくる人。私は「人と人」として付き合いたいと思っているけれど、やっぱり難しいんだな〜と。

「フリーランスは使う存在」という視点で見ている人もたくさんいるよな〜って、冒頭の言葉、そしてこの1年で改めて実感しました。事実だし、その人を変えられるわけではありません。じゃあどうすれば私たちフリーランスは使われない人間になるのでしょう? だって、編集者は写真・文章を作り出せないから(最近は出来る人も多いけれど◎)、カメラマンやライターに仕事を依頼するのでしょう? その対価として私たちはお金をいただく。使うー使われるという立場ではなく、対等な立場で付き合うことが出来るはずです。

その答えは模索中だけれど、一つ言えるのはブルーオーシャンな人になること。実力が抜きん出ている、誰も未開拓な分野&かつ求められる分野に超詳しくなる、パッと思い浮かぶのは発酵デザイナーの小倉ヒラクさん。ただのデザイナーではなく「発酵デザイナー」と名乗り、知識・経験を蓄積することで、今や大活躍。あとはすごーーーく他力本願だけど「使う」っていう考えではない編集者と一緒に仕事をすること。そういう人ももちろんたくさんいる!

最後に大切なのは、自分自身を磨くこと。やっぱり「使う」って見方をされるということは、どこか何か足りていないような気がする(自分が)。考えてみると、活躍されている方って人間力がすごい。少しずつ近づいていきたい。