余韻を残す仕事

昨日の夜、モニタリングで放送していたオードリー春日のプロポーズを観て、泣いてしまった。そして一日経った今でも、なんだか思い出してしまう。歩いている時、電車に乗っている時。もちろん私が生粋の「オードリーのオールナイトニッポン」のヘビーリスナーであることも関係しているけれど、それだけじゃない。何だろう、このざわざわする感じは。

今回の番組はいわゆるドッキリだったけれど、誰もが幸せになれるドッキリだった。携わる人すべてが幸せそうで、幸せのあまり泣いていて。TVを観なくなって久しい私にとって、TVを観ることでこんなにいい時間を過ごせたことにまず驚いた。TVの力ってすごい。映像の力、編集力ってすごい。ウェブや雑誌では伝わらないいろんなことをTVは届けられる。

春日さんの手紙の最後にも泣けた。

この先の普通の日を、一緒に普通に過ごしたいです。

名文じゃないだろうか。結婚情報誌や広告が語る甘い結婚像ではなく、結婚とは普通の日々が続いていくことであり、それで良いんだという肯定。人気芸人であるオードリーの春日さんが「普通に過ごしたいです」と言ってくれたことに、なんだか泣けた。

いい映画を観た時、全力のパフォーマンスを観た時、魂込めて書いたんだろうと思える記事を読んだ時、大切に丁寧に作られた本を手に取った時。そういうものに触れると心を動かされ、自分の中に余韻が残る。私は誰かの人生に余韻を残せるような写真を撮れているだろうか?記事を書けているだろうか?「消費されて終わり」みたいなコンテンツはもう絶対に作りたくないと思った。そういうものが世に溢れているからこそ。余韻を残せるような、人の暮らしや人生に何かしら影響を与えられるようなものを生み出していきたい。