掃除とあたらしいご縁

最近、あたらしい仕事の相談が多い。

まあ、妊娠中とみに少なかっただけで、超忙しくて目が回りそう!という感じではないのが私らしいし、ちょうどいい塩梅に落ち着くからありがたい。

で、ご縁が多い理由の一つとして部屋をよく掃除していることが挙げられると思う。そんなことを書くと「え、スピリチュアル系…?」と抵抗感を持つ人も多そうだけど、なんか、そういうのってあると思うんだよなあ。

部屋のほこりやこびりついた汚れって意外と毎日目にして、小さく気分を落ち込ませる。だから今年に入ってから毎朝、部屋中の窓を開けて換気をする。すべての部屋に軽く掃除機をかける。週末はブラーバで水拭きをする。

こないだ、自分の部屋の不要なものをどーーんと捨てた。割とものは少ない方だけど、それでもゴミ袋2つ分になった。そこからあたらしい仕事が来るスピードがまた加速した。

忙しい日々の中、いつのまにか溜まっていく、いらないものやそれに宿るもやもやする”気”。それを毎朝、毎週リセットすることで、いいご縁がやってくる。部屋もきれいで気持ちいいし、掃除っていいことだらけ。


前田敦子の”月月”
雑誌『あわい』創刊

離乳食がたのしい

離乳食が始まる前、本やネットを色々見ながら、その面倒さに怯えていた。裏ごし、スプーン1さじ、卵アレルギー…。そもそも料理好きじゃないことも相まって、この面倒な世界に足を一歩踏み出したら、大変な日々が待っていると思っていた。

ところが、ところが、離乳食がたのしい。それは子がほんとーーーーーになんでもーーーー食べるーーーーーことが大きいけれど、自分がつくったものが子の心身を育んでいく、というシンプルなことが何よりうれしい。

子にとっては全てが新しい体験だ。お粥を飲み込むことも、にんじんの甘さも、トマトの酸っぱさも、豆腐の食感も。その一つ一つの反応を目の当たりにして「人間ってこうだよなあ」っていつも感心させられる。食はただ喉に流し込むものでも、ストレスを解消するものでもない。

生きる源になるもの。

子の人生は始まったばかりで、いつまでご飯を作ってあげられるだろうか。料理苦手歴34年を経て、そんな風に考えている自分がいることに本当に驚かされる。ベタで笑っちゃうけれど、子が生まれていい方向に変わっている。


前田敦子の”月月”
雑誌『あわい』創刊

広くないけど、深く届け

雑誌『あわい』を創刊して半年が経とうとしている。ここだから書くけれど、届くスピードは当初想定していたよりスローだ。その事実に焦りを感じたことがない、というと嘘になる。

でも『あわい』は今まで作ってきた作品の中で、一番深く届いている実感がある。なぜならオンラインストアやいくつかの書店さんで出会ってくださった読者の皆さんから、今もお手紙をいただく。

「あわい、という概念に出会えて自分を受け止められました」
「芸能人のサトミツさんでもこんな気持ちになるんだって救われました」
「古川さんが私の気持ちを代弁してくれた気がします」

そんな思いが綴られているお手紙が私の手元にはたくさん、ある(送ってくださった皆さん、本当にありがとうございます。うれしくてうれしくて…)。『あわい』でインタビューした古川誠さんがメトロミニッツで「数値化できなくても深く届くものはある」というようなことを書いていて、勇気づけられた。

私たちは何かをはかる指標としてすぐ部数やPV数といった数量を持ち出すけど、深度をはかれればいいのになあ。どれだけ深く届いたか?も同じくらい大事な価値だと思うもん。

『あわい』と出会ってくださったすべての方にお礼をお伝えしたいし、これからも気長に届けていくので、ご縁があったらぜひ読んでほしいです。


前田敦子の”月月”
雑誌『あわい』創刊

本来の自分自身になる

今夏、ウェブサイトや名刺のリニューアルを予定している。そのために改めて「私にできることって何だろう?」と向き合ってみたら、こんな文章になった。

清濁あわせもった人のいきざまを
写真と文でやわらかく届けることで
自分自身として清々しく生きる人が増えていく
そのお手伝いをする

雑誌『あわい』の創刊も、前田敦子の”月月”も、日々のクライアントワークも。写真を撮る時も文章を書く時も、モチベーションは全てここに帰結する。

完璧な人にはあまり興味がなくて(きっとそんな人いないだろうし)、清濁、いい面悪い面があるからこそ、その人の魅力が立ち現れると考えている。

そんな人の生きるさまを写真と文で”やわらかく”届けることで、自分自身に目を向け、自分自身として清々しく生きる人が増える。その結果、世の中が少しずつ良くなっていく。そんな仕事がしたい。

軸を言語化できて、やりたいことがより明確になった。だからInstagramのストーリーズでささやかな企画を始めてみた。

私は写真を撮ったり、文を書く上で「本来の自分自身」であることをとても大事にしている。なぜなら写真も文も自分のコンディションが如実に表れるから。

純度の高い自分でいることが、よりいい写真と文につながる。そのために心がけている小さな習慣や考え方をシェアしていきます。

今までなんとなーく投稿していたストーリーズで、誰かの役に立てるかも?というのは純粋にうれしいし、私のリアルな体験が清々しく生きる手助けになれたらいいな。Instagramのストーリーズ、のぞいてみてくださいね。


前田敦子の”月月”
雑誌『あわい』創刊

愛情ましましで撮るように

子が生まれて変化したことは色々あるけれど、最近ビビッドに変化したと感じているのは、人の撮り方。

私の撮影現場をご存じの方は「あ〜あの感じね」ってなるはず。撮影の時、特に女の子を撮る時は、ぎゅんっと集中して、ぐあーって撮っていく(擬音が多い。笑)。ファインダーをのぞくと「あーかわいい、あー最高、あー大好き」みたいなテンションに自然となり、そのままフロー状態になって撮っていく。

その「人が大好き」って気持ちが、子どもを産んでさらに強まっている。

子どもが産まれるまでも、人への愛情を持ってはいたけれど、どこか隠し気味というか…そういう愛情深い自分を恥ずかしく思っている節があった。

ところが、子どもを産んで、子どもという人間に愛情(母性という言葉でも置き換えられるかもしれない)どばどばどばーっとなって。無限の泉から愛情が溢れ出るようになり、写真を撮る時も同じ感覚になる。しかも男女問わず。

人が一人大きくなるまでに、どのくらいの手がかけられているのか。過程をささやかながら体感しているからかな。毎日毎日子に大好きって伝えているから愛情表現が恥ずかしくなくなったのかな。

なんだか不思議なくらい、人類愛な私です。そしてそんな私が撮る最近の写真が、結構好きです。


前田敦子の”月月”
雑誌『あわい』創刊