名前と肩書、変えました。

今日から名前と肩書を変えました。写真と文、七緒です。

独立当時から使っていた「忠地七緒」という名前は珍しくて、覚えてもらえるのでお気に入りでしたが、2〜3年前から変えたいと思っていました。

理由は色々あるけれど、一番はありのままでありたいという決意表明。

植物療法の学びを深めていく中で、本来の自分に戻っていく感覚があって。それは世間とか常識とか他人より、自分の根底にある”自分”を尊重すること。

私、下の名前がとっても好きなんです。ラッキーセブンの”七”、はじまり・結ぶという意味を持つ”緒”。最・高ー!いつだって下の名前で呼んでもらえるとうれしいんだから、じゃあ「七緒」だけにすればいいじゃんって。

改名にドキドキしないわけじゃなかったし、腹落ちするまで数年かかったけど、今年になって「私がそうしたいならすればいい」ってシンプルに腑に落ちた。


肩書のこと。フォトグラファー/ライターってお気に入りでした。でも常々、長いなあと感じていました(笑)だからシンプルに「写真と文」に。

私が携わっていることは、一般的なフォトグラファーやライター像にどうしてもおさまらないんです。企画書を作って提案することもあるし、写真と文を組み合わせた世界観で届けるのが好き。

フォトグラファーって割とジャンル分けされているけど(ファッションだけ撮る人、家族写真撮る人など)、私は人そのものに興味があるからタレントやアイドルも撮りたいし、一般の方も撮らせてもらいたい。ジャンルレスがいい。

光と影をあわせもつ人のいきざまを
写真と文でやわらかく届けることで
自分として清々しく生きる人が増える

これをやっていきたい。写真にまつわること、文にまつわること、写真と文にまつわるあれこれを丁寧に真剣にやっていきたい。


名前や肩書は「側(がわ)」の話。だから今まで通り、名字で呼んでもらっても、フォトグラファー/ライターって呼んでもらっても何でも良いです(笑)

この夏、35歳になります。心からしっくり来るタイミングで、しっくり来る名前に変える決断ができて、よかった。みずみずしく、私は私として生きていこう。

(名刺リニューアルしました。裏面も最高なのでぜひもらってくださいね)

5年・700記事

大切にしたいプロジェクトがいくつか動いています。つきましては、それが一段落するまでブログをお休みします。あれもこれもと頑張りすぎると、どれも中途半端になってしまう。繊細な感覚を研ぎ澄ませながら表現を突き詰めていきたい、のです。

お休みしている間、ぜひ過去記事を楽しんでもらえるとうれしいです。実は2017年から書きはじめて5年目。最近700記事に到達しました。いろんなことを自由に書いてきたなあと、ちょっと感慨深いです。

スマホなら末尾までスクロールして「過去の記事」をクリックすれば辿れます。今、適当にピックアップしてみました。

はじめまして!忠地七緒です。(2017.1.2)
一番最初の記事。今と大事にしていることはそう変わらないけれど、ちょっと堅苦しい空気感。公務員時代のマインドを引きずっている感じがします。笑

ピーターラビットを生み出したい。(2020.4.7)
緊急事態宣言中に見つけた、絵本のこと。この頃は子どもが生まれる未来を想像すらしてなかった。

ありのままの今の自分(2021.5.24)
自分が撮られる側に立ってみてわかった、撮影って自己肯定だという気づき。

カテゴリー分けも密かにしていて、仕事/撮影写真/執筆記事/It’s me!/清澄白河/生活/価値観。末尾までスクロールすればリンクに飛べます(パソコンは右側に)。

気が赴くままに、このサイトをふらふらお散歩してもらえるとうれしいです。きっと、何かの小さな光に出会えるはず。

ゆる瞑想習慣はじめました

最近、瞑想をゆるく取り入れている。きっかけは通っている整体の先生が教えてくれたこと。ずっと気になっていたものの”特別な人がやるもの”という印象が強かった。でもなんか、いいかもって思ったのです。直感大事〜

瞑想をするのは、自分をフラットに戻したいとき。仕事で判断に迷う時。仕事からプライベートにスイッチを切り替えたい時。もう少しどっしりしたい時。ベランダに出て、フランキンセンスの精油をかいで、座って、目をつぶって、呼吸に意識を向けていく。

最初は頭がざわざわしたり、呼吸が浅くてうまく吸えない。でも少しずつ落ち着いていく。ざわざわした気持ちが静まって、自分の中にある”自然”とつながっていく(もちろん落ち着けなくてうまくできないこともしょっちゅうある)。もういいかな?ってタイミングで目をあけると、すっきりして、目の前の景色が色鮮やかに見えたりする。不思議。

本当は外側にある自然…たとえば海や森に身を置いてフラットになりたい。でも今の環境でそれを叶えるのは難しい。だから内にある自然とつながることで、自分自身を取り戻す。上手にできているかはさておき、最近お気に入りの習慣です。目をつぶって、呼吸するだけって考えたら、意外と簡単〜

ほんとうに大変?

「0歳の子どもがいます」と話すとたいてい「大変でしょう」と言ってもらえる。そのたびに「いや〜そんなに大変じゃないんですよ〜」なんてへらへらしている。

妊娠・出産は想像以上に大変で、今のところ二度と経験したくない・・。でも生まれてからは、想像より大変じゃないなあというのがずっと続いている。もちろん風邪が続いて大変、とか、離乳食の準備が大変、とか、細々としたことはあるけれど。

きっと、私だけじゃなくみんなで息子を見ているからかなあ。5ヶ月育休を取ったそのあとも、夫は私と同じ温度で目線で子どもと遊び、世話をする。

保育園の送迎も病院に連れて行くのも基本は半々。遊びのブームや湿疹の状態もふたりともわかってる。二人の子どもだから二人で育てる、というシンプルな話。

あとはもう…そんな細々としたことなんて、心底どうでもよくなるくらい、子どもがかわいい。こんなに長く太字で書いちゃうくらい(笑)想像していたかわいさを遥かに凌駕してそれでも足りないくらい、最高。毎日かわいい。

0歳だから大変。たしかにそういう瞬間もあるけれど、ありあまるほどのじゅわっとした幸せが毎日ある。出産前に読んだ子育て体験談は9割「育児=大変」話だった。だからこそ、子どもといるの楽しい、最高、かわいい、そんなことを書く人がいてもいいんじゃないかな、って思って書いてみました。

私から母になる”あわい”時間

母になって生まれた時間。それは保育園の送迎。朝、保育園に送っていくのはたいてい夫で、お迎えは私。仕事モードを一旦スイッチオフして、保育園に歩いていく時間が、いつも”あわい”だなあって思う。

「私」から「母」の比率が保育園に近づくにつれて増えていく。じゅわじゅわじゅわ。仕事のあれこれを引きずりつつ、迎えに行った子の笑顔に癒やされ、帰路はすっかり母モードになる。

私は私だけど、子の母でもあって、妊娠前や妊娠中は母としての自分を受け入れて肯定できるか不安だった。でも、母の自分も大いに楽しめている。

以前、こんな記事を書いた。
妻、母、私。どんな時も「自分でいられる場」を作ってきた

この時は子どもを生むことを想像すらせず、妻・母・私は分断されていると思い込んでいた。でも、今の私は、妻・母・私がグラデーションで、時と場合によって、どれかが濃くなったり薄くなったり。妻としての意識はだいぶ低くなった気がするけど…(笑)

そんな塩梅で、良いんだ。