日常に、風を通す

どうにも行きづまってしまった時、場所を変えるだけでクリアになる。

先週、息子が体調を崩し、病院をいくつか巡った。子どもを病院に連れて行くのが苦手だ。ネット予約して、なだめながら待合室で待って、先生の話を聞いて、不明点があれば質問して、薬局に薬を取りに行って。

ちゃんとやらなきゃ、ちゃんと、ちゃんと…という想いから、家に帰るとぐったりしてしまう。

帰ったら帰ったで、家=仕事場でもあり、モニターを見ると、仕事のあれこれが頭によぎる。調子のいいときは「家で仕事できるんなんて最高、家も表現の一つよ」なんて思っているけれど、切り替えができない時も。

そんな時は、なかば強制的に居場所を変える。交通費がかかっても、行き帰りに時間がかかっても。いつもの場所から離れるだけで、思考がすっきり研ぎ澄まされていく。

昨年春、仕事がじぇんじぇんなかった頃はよく葉山に一人ドライブへ行っていた。清澄白河の自宅から葉山まで、1時間半。

首都高に乗ってしまえば、まっすぐな一本道。音楽もかけずに、ひたすら走る。お台場のビル郡、川崎の工場地帯、横浜ベイブリッジ、山、そして海、と景色が変わっていく。

海に到着したら、靴を脱いで砂をわしわし踏みしめる。しばしぼんやり佇んで、おいしいご飯を食べて帰る。

「色々あるけど、まあ、いっか」

こないだは次に住む町を弾丸で訪れた。山と海にかこまれた美しい町。

やったことは保育園見学とランチを食べたことくらい。あ、ずっとつけたいと思っていたジュエリーブランドがたまたまお店を出していて、透明のピアスをお迎えした。

往復2時間、滞在たった3時間。時間のコスパは決して良くないけれど、強烈な気分転換になった。

行きづまりを感じる時は大体マインドも落ち込んでいるから、外に出ることも億劫だ。それでも、えいやっと飛び出してみる。新しい風を、自発的に自分の体に取り込んでみる。小さな何かが変わっていく。

2023年もまもなく前半戦が終了。みなさんは、どんな風を取り込みたいですか?

【Work】アンジュルム・松本わかなさん撮影

アンジュルムの松本わかなさん、撮影しました。夕暮れの光と透明感が、儚くて美しくて。15歳の一瞬を切り取らせてもらいました。

ハロー!プロジェクトの全アーティスト大好きで、毎日楽曲や動画を摂取していますが、中でもアンジュルムはいつだって背中を押してくれる。『愛・魔性』も『悔しいわ』も何十回MVを見たことか。

竹内朱莉さんが築き上げた今のアンジュルムは最高にハッピー。見ているだけで元気になる。来週の卒業コンサートも観に行きますよ〜!ライブビューイングだけれど!

アイドルという特別な時を過ごす、彼女たちだからこそ放つ光。決して消費せずに、丁寧に残していくお仕事をしていけたらうれしいな。

苦しさをひらいていく

苦しさをさらっと伝えることが苦手だ。渦中にいる時、誰かに分かち合うことで、心が軽くなるってわかっているけれど。思考が邪魔をして、結局自分の中でぐるぐる膨らんでいく。

思い出すのは妊娠中のこと。

私は妊娠期間の心身の揺らぎが結構あった。つわりが、とか、お腹が重くて、とか、そういうシンプルな不調もあるけれど、あの8ヶ月間はずっともやに包まれていた感覚だった。

自分の体なのに、何者かに乗っ取られているような…。だけど、周りからは「幸せな人」として見てもらえる。そのギャップを一つひとつ紐解く余裕もなく、幸せなふりをして辛さを隠す自分がいた。

だって、辛い部分を見せると、仕事を依頼されづらくなると思ったから。

その感覚は今も残っていて、たとえば子どもの体調不良はできるだけ隠してきた。もちろん苦労を表に出す必要もない一方で、何もなかったかのように振る舞うのが、だんだん息苦しくなってきた。

だって大変なんだもん(笑)辛そうな姿を見るのも辛いし、うつったら自分も辛いし、夫との仕事の調整なんて毎回、戦。いろんなレイヤーの辛さが重なるから、マジ、ヘビー。

最近、その苦しさを少しずつひらいていってもいいのかもと思っている。ひらいたからって何か大きく変わるわけじゃないけれど…。仕事を頼みづらくなる感じが出るのも怖いのだけれど…。

でも、もし、誰かが困っていたら手をさしのべたいと思うし、自身の苦しさを少しひらける社会になれば、生きやすくなると思う。

子育てだけじゃない。介護、失恋、心身の不調…大なり小なり、誰しも苦しさを抱えて生きている。

その苦しさを打ち明けられるような、分かち合えるような、そんな人でありたいし、そんな場を作れたら、とぼんやりと。

【Work】マーナのある暮らし、コンテンツ制作

生活雑貨メーカー・マーナのコンテンツ制作を担当しました。

「歯ブラシ」という商品を題材に、ショートストーリーを寄稿しています。歯磨きって、意外と日常を見つめ直すいいきっかけだよね、という文脈で物語は進んでいきます。

朝が戻ってきたのは、いつだろう。
てんてこ舞いの9年を経て、
最近の僕の朝時間。

9年ぶりに取り戻した朝時間で、ジュンイチさんは何を想うのでしょうか。写真と文で表現したやわらかな暮らしの世界観をお楽しみください(物語はこちら)。

オンラインストア楽天で商品購入で同梱される冊子にも掲載されています。冊子もめっちゃかわいくてお役立ち内容が詰まってるんですよ〜

マーナの商品はいいもの揃いで、暮らしをすっきり心地よくしてくれる(実は愛用している人も多いはず…)。その魅力をこれからも丁寧に届けていけたらうれしいなと思っています。

”ままならない”への眼差し

こないだ、友人とお茶した時に、ぽろっと口から飛び出した言葉。

「結局、料理家の高山なおみさんだよね」

高山なおみさんが書いた『野菜だより』というレシピ集がある。奥付を見たら出版が2005年。最近買ったけど、令和の今読んでも1mmも色褪せない。何なら、新しく思えるくらいだ。

美しいもの、洗練されたものが好き。一方、それだけじゃ人生進まないよね、という思いがある。光と影、A面とB面、両方が誰にだってあると思う。さじ加減は人それぞれであるにせよ。

高山さんの著書にも、同じ気配を感じる。

たとえば『野菜だより』の奥付には大根の切れ端の写真が載っている。2年前の『自炊。何にしようか』の表紙はラップで包んだ冷凍ご飯。きれいに整えすぎない。その余白に引き込まれる。

だって、みんながみんな、無農薬の野菜を買えるわけでもないし、雑誌で紹介されるような家で暮らしているわけじゃない。私たちの生活は、意外とままならない。


記事コンテンツを作る時、まず「憧れのムードを醸成する」という手法がある。その方が気持ちが高まり、結果的に購買やページビューにつながりやすいから。

でも、憧れだけを並べられると、時折、苦しくなる。自分から遠く離れた存在に思えたり、そのギャップで落ち込んだりしちゃうから。

私が最近大切にしているのは、憧れ+生活感や人間味を織りまぜていくこと。単に憧れだけで引っ張らない。リアルへの眼差しも交えて、心に残っていくコンテンツを作ること。

疲れていても、無理なく摂取できて、読後、前を向ける。そんな写真と文を、この金曜18時のよみものでも、クライアントワークでも淡々と紡いでいきたいなと思う。

誰にでも訪れる、ままならない日々も、愛せるように。写真と文のコンテンツ論。