全部、発信しなくても、大丈夫。

昔から、お風呂で本を読むのがいい息抜きになっている。

風呂という、家の中でも隔たれた場所で、あたたかい湯に身を任せながら、本の世界に入っていく。いろいろな雑念から切り離されて、目の前だけに没頭できる感じがすごくいいし、時折、面白すぎて1冊まるごと読み終えてしまうことがある。

西加奈子さんの『くもをさがす』が、まさにその1冊だった。

まさか西加奈子さんが乳がんを患っているなんて、思いもよらなかった。西さんの本は何冊も読んでおり、チャーミングな方という印象。私がオードリーの若林さんが好きなこともあり、若林さんと仲の良い西さんに勝手に親近感を抱いていた。

西さんに乳がんが発覚し、カナダで治療するさまを綴るノンフィクション。内容もさることながら、最後の数ページに強烈に惹かれた。長いけれど抜粋して引用します。

最近、インターネットで様々な美しい話を見かける。SNSの発達のおかげだろう。世界中に散らばっていた美しい瞬間に、ワンクリックで立ち会えるようになった。

私はその進化に、心から感謝している。同時に、こうも思うのだ。「こんなに美しい話を、気前よく私たちに分け与えてくれなくていいのに」

それはあなたの、あなただけの美しい瞬間ではないのか。みんなに知ってもらいたい、知ってもらうべきだと思うどこかで、強く「教えたくない」と思っていた。

本当に、本当に、美しい瞬間は、私だけのものにしたい。誰にも教えたくない。私はわたしに起こった美しい瞬間を、私だけのものにして、死にたい。私は、私だけの美しさを孕んで、私は焼かれるのだ。

この文章をお風呂場で読んで「あっ」と思ったのが、息子のことだった。

出産後、息子のことをずっとうまく言語化できなかった。かわいい、大好き。一言で言えばそんな感じなんだけど、一言では語り尽くせない想いがいつも体の中を渦巻いている。

生まれて1年8ヶ月。一生忘れたくない、奇跡のように美しい瞬間は本当にたくさんあった。

でも言葉にしようとすると、大切なものを取りこぼしてしまうような気がして、うまく発信ができない。伝えたいのに伝えきれない。何度も文章を打ち込んではデリートキーを押す。

それは彼自身の人格を大事にしており、まだ判断力が育っていない中、親だけの判断で彼のエピソードを話すことの是非がわからないこともあるけれど、、

西さんの文章を読んで腑に落ちたのだ。

息子が愛しい。その美しい瞬間をすべて共有しなくていい。私と息子のこと、私たち家族のことは、本人がわかっていればいいんだ。

子どものことをどこまで語るのか、語らないのか。顔を載せるのか、名前を公表するのか。家庭によってさまざまで、誰かのお子さんのエピソードをSNS越しに知ると「かわいい…最高」と思うし、線引きは自由だと思う。

基本的には自分がされて嫌なことをしなければ、いいのかなと思う。

でも、心から大切なことまですべて、共有しなくていい。全部、発信しなくても大丈夫。息子との数え切れないほどの美しい瞬間は、心にひっそり刻んでいこう。