&w「東京の台所」取材を受けました

34年間料理経験ゼロ。意外な方法で苦手意識を克服〈285〉

息子が生まれるまで34年間、料理をほぼしませんでした。

自分への諦め、夫との諍い。離乳食を機に逃げないと決心したこと。こびりついていた料理への苦手意識が、すうっと溶けていった1年半。

&wの「東京の台所」で、大平一枝さんに取材をしてもらいました。

ここまで丁寧に心情をすくい上げて形にしてもらったのは初めてです。ぜひ多くの方…特に料理が苦手な方、そんな自分があんまり好きじゃないと感じる方、離乳食面倒だなという方に読んでもらえたらうれしいです。

あいかわらず料理が好きとは思えないけれど、それでも私は今週末、台所に立つのです。記事はこちらから。

第4話:一生懸命を愛し、できない自分もまあいっか/十場あすかさん

陶芸家・十場あすかさんの人生観を全4回にわたって、聞かせていただいています(第1話はこちら)。

今回で最終話。

さあ、そろそろお昼ごはんの支度が整いました。今日は夫で陶芸家の十場天伸さんお手製の水餃子。部屋の中にいい香りが漂ってきました。高校入学を控える長男のお兄ちゃんも一緒に食卓を囲みます。

子育て10年、再開して6年。これまでを振り返って「ぎゅうぎゅうでした。もう、めっちゃダッシュしてた」と笑うあすかさん。

「去年、福岡で展示した時、オーナーさんに『こんなわーっとした忙しない仕事のやり方、どうなんかなあって思う』って相談したら『今はわーっとする時期なんじゃない?』って言われて。そっか、わーっとしないと見えないものあるもんねって、腑に落ちました」

もともと自立が人生のテーマだったあすかさん。その気持ちは変わらずあるのでしょうか。

「今はね、自立したいとも思ってない。あの気持ち、どこ行ったんやろう?(笑)」

「去年くらいに、もう陶芸でやっていけるって思えたんです。それが大きいかな。再開してそりゃ1〜2年はできないんですよ。技術は身についているけど、ブランクがあるから乗りきれなくて。毎日毎日積み重ねて、理想に近くなってきてる。完全一致しているかっていうと、まだちょっとあれやけど…でも、だいぶ近づいている」

今後、どんなことに挑戦していきたいですか?と伺うと…

「目標が全然ないんです。天伸は最初、学校で自己紹介した時も『世界で活躍したいです』って言い切って、みんな『おおー!』ってどよめいて(笑)私はとにかく目の前のことを一生懸命やる、以上。みたいな感じかなあ。ふふふ」

自身に合わないものを削ぎ落として、たどり着いたものづくりの道。10年の休業を経て、見つけた自身の世界観。

「今でも、昔のちゃんとしなきゃ精神の延長で、きっちり作りたい気持ちはあるんですよ。でもやっぱりできないんです。できないことを、昔は『なんでだろう、うーん』って思ってたけど」

今は、そのできない自分も…

「まあ、えっかって感じ(笑)まあ、えっかって」

お話を伺いはじめて1時間半。むっちりとした水餃子が、あすかさんの器にどんと盛られ、食卓へ。やわらかな湯気とじゅわっとした香りで心の温度が一気に上がります。さあ、ハフハフしながらみんなでいただきます。この続きは、また今度。


十場あすか
陶芸家。1983年広島県生まれ。2007年に夫・十場天神さんとともに神戸・淡河町にて独立。育児で10年休業のち2017年に復帰。白を基調としたおおらかな作風が人気。@asukajuba

七緒
写真と文。1987年神戸市生まれ。上智大学新聞学科卒業後、雑誌編集者を経て2017年独立。ポートレートやライフスタイルを中心に撮影・執筆。@naotadachi

第3話:“雑い”のにしっくり馴染む。十場あすかの器論/十場あすかさん

独立後すぐに、妊娠していることがわかった十場あすかさん。10年間は子どもとの暮らし第一。楽しみつつ、葛藤を抱える日もあったことを第2話では伺いました。

そして2017年に陶芸家としての活動を再開。田んぼで採れる稲わらの灰からできた藁白釉(わらばいゆう)を生かした白の作風。おおらかで、あたたかくて、暮らしにすっと馴染む作品の数々。

今、ものづくりで大切にしていることは?

「なんでもないけど、存在感のあるものを目指しています。もともと白い器を作りたいと思ってたわけじゃないんです。子育て中に『やっぱりシンプルがいいな、白が落ち着く』と思い至って。なんやろうな…天伸が買ってきた李朝の器かな。“雑い”のに馴染む。こういうのを作りたいって思ったんかな」

李朝の器とは14世紀から19世紀頃まで続いた李氏朝鮮で作られた白い器のこと。素朴で、どっしり、それでいてやわらかな佇まい。

「この器、なんでもないじゃないですか。重さもあるのに、毎日手に取っちゃうんです。心赴くまま作ったら自然とこうなった感がいい。あと、主張の強い天伸の器が家にたくさんあるでしょ?なおさら『なんでもないって素晴らしい』みたいな気持ちもある(笑)」

白といっても、真っ白じゃない。ゆらぎのある色あいとざらりとした質感があすかさんらしさ。土を混ぜあわせることで雑味を入れて、薪で焼くことを大事にしています。

「ツルンとしたくないんです。その方が長いこと一緒にいられる気がして」

たとえば電気窯は、同じ色・トーンのものを何枚も生産することに長けています。安定して制作できるため、お店やギャラリーから求められることも。

一方、薪窯は炎で焼いていきます。火をくぐることで、想像もしえなかった色の変化やグラデーション、ゆらぎが生まれるのが特徴。

「全く同じものを100枚作っても私は面白くないと思っちゃう。人間だって同じ人はいないし、そういう所がいいなって思うから」

次が最終話。陶芸を生業にしたあすかさんの今後、そして第1話で話していた、果たして「自立したのか?」というお話を探っていきます。


十場あすか
陶芸家。1983年広島県生まれ。2007年に夫・十場天神さんとともに神戸・淡河町にて独立。育児で10年休業のち2017年に復帰。白を基調としたおおらかな作風が人気。@asukajuba

七緒
写真と文。1987年神戸市生まれ。上智大学新聞学科卒業後、雑誌編集者を経て2017年独立。ポートレートやライフスタイルを中心に撮影・執筆。@naotadachi

第2話:独立、出産、出産、出産、出産/十場あすかさん

神戸の山あいにある自然豊かな淡河町で、器を作陶している十場あすかさんのインタビューをお届けしています(第一話はこちら)。

幼い頃から、自立への想いが強かったあすかさん。これは合わない、これも合わない、とバツをつけ続けた後、ようやく陶芸に出会えたお話を第一話でご紹介しました。

いよいよ、ここからが陶芸家としてのスタート。

陶芸家として生計を立てるには、窯元に就職するか、弟子入りして独立が一般的。でもあすかさんは卒業後そのまま独立。加えて24歳で第一子を出産、その後10年間は育児で休業。王道からはかけ離れた、自分だけの道を歩んでいきます。

「でもね、当然、最初はどこかで働くことを考えていたんですよ」

当時からお付き合いしていた夫・十場天伸さんと共に、何軒か陶芸家の元を訪ねてみたあすかさん。でも、どこへ行っても弟子入りを断られてしまいます。

「多分、あんたらは使えないって思われたんでしょうね(笑)あと『自分らでやりなさい』とも言われました。1軒目、2軒目と断られて、3軒目でも同じことを言われた頃には『2人でやるしかないか』って。一通り技術は身についてるし、1人じゃ難しくても2人だったら何とかできるかもって」

そうして2007年、あすかさん24歳、天伸さん25歳の時に、ここ淡河町で独立。ようやく陶芸人生がはじまると思ったら…

「実は淡河に来た時点で妊娠してたんです(笑)」

そこから10年は妊娠・出産の繰り返し。一人目の時は、陶芸をする余裕もありましたが、軌道に乗っていない中、何からはじめたらいいのか。子どもがかわいい時期に一緒にいたい気持ちも強く、仕事と育児のはざまで揺らぐ日も。

「だけど、悩む間もなくどんどん生まれるんですよ。気づいたら1歳過ぎたあたりで次の子ができちゃうから、休む暇がない(笑)5年間は、生んで、生んでの繰り返しでした」

その間、ものづくりからまるっきり離れていたわけではありません。むしろ日常はものづくりの宝庫。帽子を編んだり、味噌づくりをしたり。暮らしを前向きに楽しんでいました。でも、だんだんと心の風向きが変わってきます。

「2012年に三男を出産してすぐ『あ、もう働かなきゃ!』っていきなり本能のスイッチが入ったんです。出産直前に、天伸と大喧嘩したのを覚えています。自立しなきゃ!って体の底から突き動かされたんだろうね」

産後、陶芸を再開。まずは天伸さんの雑用から始めましたが、なかなかうまくできません。

「手伝っても二度手間みたいになってしまって。そうこうしてたら4人目の長女ができて、次男が『保育園行きたくない。1人でザリガニで遊んでたい』とか言うから(笑)、園をやめて。陶芸はまた一旦お休み」

子育てに追われ、キャリアが思うように進まない。焦りが募りそうな状況ですが、結果、あすかさんは潔く10年お休みしました。

「やっぱり4人を育てながらで、卒業からのブランクもあって、陶芸に打ち込める環境ではなかったですね。一番下の長女が1歳半になった時、近くに小規模の保育園ができたんです。そこに三男と長女を入れて、ようやく自分の時間ができました」

次回は、10年間の育児を経て再スタートしたあすかさんの作陶のこだわりを紹介します。


十場あすか
陶芸家。1983年広島県生まれ。2007年に夫・十場天神さんとともに神戸・淡河町にて独立。育児で10年休業のち2017年に復帰。白を基調としたおおらかな作風が人気。@asukajuba

七緒
写真と文。1987年神戸市生まれ。上智大学新聞学科卒業後、雑誌編集者を経て2017年独立。ポートレートやライフスタイルを中心に撮影・執筆。@naotadachi

第1話:バツ、バツ、バツ。最後に二重丸をつけた陶芸/十場あすかさん

今年2月に個人的に取材させていただいた陶芸家・十場あすかさん。今日から4回にわたってインタビュー記事をお届けします。

出会いは2022年の暮れ、東京・清澄白河にある雑貨屋『WOLK』で開催されたあすかさんの個展でした。彼女の手から生まれる器は、一見シンプルですが、夢を散りばめたような美しさがあり、目にする度に心の奥がきゅんとなるのです。

あすかさんは特定の師を持たず、独立。4人の子を育てる母でもあり、10年間育児に専念した後、2017年に本格的に作陶スタート。一般的な陶芸家が歩む道とは異なる道のりにぐっと興味が湧き、お話を聞かせてもらうことに。

今年2月、神戸の淡河町へ。偶然、私のふるさとの近く。雪がまだらに残る六甲山を越え、山あいの町を奥へ奥へ。目前に広がる田畑、家の前に無造作に置かれたまあるい円球。ここが、あすかさんと陶芸家の夫・十場天伸さんが暮らす自宅兼工房。

とん、とん、とん。大根の葉を刻む音が傍らから聞こえてきます。天伸さんが昼ごはんの支度をする中、あすかさんに人生のこと、ものづくりのこと、ゆっくりお話を伺いました。

「私、本当は普通の仕事をしたかったんです。医療事務とか、そういうちゃんとしたお勤めに憧れて、最初は福祉の仕事を志しました。両親が公務員だったのもあって、仕事ってそういうもんやと思ってたから」

けたけた笑いながら、人懐っこい表情で語るあすかさん。今の作家としての活躍からは想像もつかない現実的な話がのっけから飛び出し、引き込まれます。

「手っ取り早く自立できそうやから福祉を選んだと思う。広島の実家にいた頃は割と親の制約下にいる感覚があって、早くそこから出たくて。でもね、進んでいく途中で『あ、やばい、こっちじゃない』って気づいたの(笑)」

たとえば、実習の時、利用者のおばあちゃんとは仲良くなれそうなのに、スタッフとは噛み合わないと感じたこと。アルバイトの面接でスマートな受け答えができず落ちまくってたこと。なんか違う、なんか違う。

「で、20歳くらいのときかな、バイト先の友人に編み物を教えてもらって『黙々とものをつくることやったら夢中でできるわ!』って気づいたんです。やりたくないことにバツをつけていったら、ものづくりにたどり着いた」

腹を決めたらすぐ行動。京都伝統工芸専門学校(現・京都伝統工芸大学校)へ入学。伝統工芸を選んだのも、なんとも地に足がついた理由です。

「ウェブサイトに就職率96%って書いてあったんです。ここに行けば、とりあえず就職して、自立できそうって(笑)」

木工、竹工芸などさまざまな専攻から陶芸を選んだのは、手で生み出すおおらかな世界に惹かれたから。見事、みっちりはまったあすかさんは、2年間、朝から晩まで打ち込みました。

「色んなことにバツしてきたけど、陶芸は違ったの。『丸!二重丸!』みたいな(笑)ああ、これで自立できるって思いました」

次回は、陶芸家としての独立秘話、その後すぐ訪れた大きな転機について伺います。


十場あすか
陶芸家。1983年広島県生まれ。2007年に夫・十場天神さんとともに神戸・淡河町にて独立。育児で10年休業のち2017年に復帰。白を基調としたおおらかな作風が人気。@asukajuba

七緒
写真と文。1987年神戸市生まれ。上智大学新聞学科卒業後、雑誌編集者を経て2017年独立。ポートレートやライフスタイルを中心に撮影・執筆。@naotadachi