撮影における理性と欲望。

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ただただ、思うことを書き記します。

今日はとある女の子と作品撮りでした。最近仕事や撮影が立て込んでいて、2月に入ってから1日も休んでおらず「こんな体調で撮影できるかな」と不安になりながらの撮影でした。

でも、今日の撮影は素晴らしかった。本当に本当に素晴らしかった。モデルの女の子との息がぴったり合い、わたしが撮りたい絵をまさに見せてくれる。動いてくれる、シャッターを押す手が止まらない。

わたしは本質的に人に本心を伝えるのが苦手です。80%は伝えられるけれど、のこり20%は恥ずかしくて伝えられない。それを女の子の撮影に置き換えると、女の子が体力的にきついことや、恥ずかしいポーズ、嫌だなと思われそうなことは、たとえやってほしいと思っても、申し訳なくて指示できません。嫌われたくないから、ひかれたら嫌だから。でも、そうすると消化不良な部分もあり、女の子との作品撮りが、どうもうまくいかないな〜と思っていました。それは女の子のせいではなく、わたしが本心…つまり女の子に対する欲望を伝えられていないからだということも分かっていました。

女の子を大切にするという大義名分をふりかざして、自分の欲望を伝えるのを恐れていました。恥ずかしがっていました。

そんな時、フォトグラファー片野智浩さんの投稿を見ました。片野さんは男性のポートレートを撮影しているフォトグラファーさんですが「何かのタイミングで自分のエゴが理性に少し勝てるようになってきた感覚がある。」と。わたしから見て片野さんは、とてもやさしい温和な方です。が、その雰囲気とはうらはらにドキっとする写真が多い(ぜひ、写真をご覧になってみてください)。そのギャップに惹かれていますが、片野さんもエゴと理性で戦っているんだ、それならばわたしももっと自分の気持ちに正直になろう、たとえ現場で引かれてしまったとしても、自分を写真に表そう。と。

で、今日でした。

もう、何も考えずにシャッターを切りました。いいな、と思った時にシャッターを押す。そうしたら、ファインダーに写る瞬間がうつくしくていとおしくてきれいで。ランナーズハイみたいだった。きっとブレている写真、ピンぼけの写真も多いことでしょう。それも含めて最高にかわいくってたのしくっておかしくって。ああ、これかぁと。これなのか、と。

わたしの写真は「やさしい」「やわらかい」と褒めてもらえることが多く、それが魅力だな〜とも思っています。その一方で「ただ、女の子がかわいい写真」でしかないな、と思うことも多く。インパクトやアクに欠ける。わたしはやさしいだけではないし、女の子だってかわいいだけではなくって、きちんと欲だって持っているし、嫌な面だって持っているのに、それが写真には現れないな、と。まだまだ深みが足りない写真だな、と思っていました。

でも、今日みたいな撮影を続けられれば、少しまた別のステージに上がれる気がする。恥ずかしがらずに自分の思いを言葉に出して、媚びずに撮る、撮る、撮る。

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半年に1回位、こういう節目となる撮影があります。今日はまさにその日。これからも撮ろう撮ろう撮ろう。

Model:関根なつみ
H&M  :三田沙弥香
Photo:忠地七緒