頑張り続けなくても、ありたい自分になれる

今日は10年以上、考え続けていたことの答えが見つけられそう、というお話を書こうと思う。このブログにはできる限り、ありのままの思いを残そうと思うので、思い切って、ドキドキしながら。

その気持ちが顕在化したのは、2020年。「私っていつまで頑張り続ければいいのかな?」とふと思った。2019年にアトリエを借り、仕事は順調に増え、朝から晩までいわゆる”東京”にどっぷり浸かりながら仕事をしていた。楽しくて、充実していて、ちょっと無敵感があった。

一方で、頑張っても頑張ってもたどり着けない場所があることを痛感したり、期待や要望にいい顔をし続けることに疲れる日もあった。2020年の春、清澄白河に戻った。ちょうどコロナ禍が迫っていた。冬、子どもを授かった。

妊娠、出産を機に仕事をセーブせざるを得なくなり「もっともっと頑張りたいのに!」と思う私と「でもいつまで頑張ればいいんだろう?」と思う私の狭間で、揺れ動くようになった。そういえば、学生時代からずっと頑張ってきた気がする。部活、受験、サークル、就活…。


ゴールデンウィークにチムグスイのオンラインサロンで、チムグスイの七重先生と贄川治樹さんのトークイベントを聴講した。

「自分の実在感(=充実感、満足感、受容感)を求めるのは人として自然な欲求。たとえば目標達成してドーパミンが分泌されると、実在感を”頭”で感じることができる。だけど達成したらすぐ消えてしまうから、目標を求め続けることになる。悪いことではないし、今の社会がそうさせている部分もあるけど、”頭”で実在感を追いかけると疲れてしまう」

「でも体に目を向けて、心地よいことをして、呼吸が深まっていくと、腹に血液がめぐり、体がゆるんでいく。すると何かをしたからではなく、何もしなくても、ただ在るだけで自然と、自分の実在感を感じられるようになる」

小さな光が見えた気がして大興奮した。

写真展を開催した瞬間は満足感があるけど終わったら虚無感に襲われたり、目標達成してもすぐに新しい目標を設定しないといけない気がして焦ったり。そんな自分は「自己肯定感が低いのでは」と落ち込んだりしていた。

それはきっと”頭”で実在感を求めていたからなんだ。ドーパミンがドバーッと出て、その瞬間はうれしいけど持続しないから落ち込んでいたんだ。

目標を追いかけることは悪いことではないし、いい発奮剤になってきたし、これからもなっていくだろう。タイミングによってはしゃかりき頑張ることも大切。

でも、でも、頑張り続けることが全てじゃない。

頭優先で走ってしまいがちな自分を少しなだめて、身体的な心地よさをまず大事にしたい。毎年、奄美大島で感じる自然との一体感や、緑の中を散歩したあとに感じる爽快感はきっとリアルだ。

そうやって体を整えつつ、湧き上がるわくわくすることを、仕事に、生活にしていきたい。その結果、思い描いているありたい姿に近づいていければ、それこそ無敵だろう。そんな生き方に、今、惹かれている。


▶ご感想やメッセージはこちらから

前田敦子の”月月”
雑誌『あわい』創刊