こないだ、友人とお茶した時に、ぽろっと口から飛び出した言葉。
「結局、料理家の高山なおみさんだよね」
高山なおみさんが書いた『野菜だより』というレシピ集がある。奥付を見たら出版が2005年。最近買ったけど、令和の今読んでも1mmも色褪せない。何なら、新しく思えるくらいだ。
美しいもの、洗練されたものが好き。一方、それだけじゃ人生進まないよね、という思いがある。光と影、A面とB面、両方が誰にだってあると思う。さじ加減は人それぞれであるにせよ。
高山さんの著書にも、同じ気配を感じる。
たとえば『野菜だより』の奥付には大根の切れ端の写真が載っている。2年前の『自炊。何にしようか』の表紙はラップで包んだ冷凍ご飯。きれいに整えすぎない。その余白に引き込まれる。
だって、みんながみんな、無農薬の野菜を買えるわけでもないし、雑誌で紹介されるような家で暮らしているわけじゃない。私たちの生活は、意外とままならない。
記事コンテンツを作る時、まず「憧れのムードを醸成する」という手法がある。その方が気持ちが高まり、結果的に購買やページビューにつながりやすいから。
でも、憧れだけを並べられると、時折、苦しくなる。自分から遠く離れた存在に思えたり、そのギャップで落ち込んだりしちゃうから。
私が最近大切にしているのは、憧れ+生活感や人間味を織りまぜていくこと。単に憧れだけで引っ張らない。リアルへの眼差しも交えて、心に残っていくコンテンツを作ること。
疲れていても、無理なく摂取できて、読後、前を向ける。そんな写真と文を、この金曜18時のよみものでも、クライアントワークでも淡々と紡いでいきたいなと思う。
誰にでも訪れる、ままならない日々も、愛せるように。写真と文のコンテンツ論。